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能登半島地震を体験して   本間 早苗
 3月25日 4月からゴミ収集が有料化されるというので、納屋でゴミを袋に入れていると、突然、ドーンと音がし、下から突き上げてきました。これは地震だ。いつもと違う。絶対これは大きな地震が来る、と直感した私は、納屋の中に居ると危ないかもしれないと思い、入り口まで飛び出しました。とたんにユサユサと横揺れが始まりました。

 ここにいたら危ない。外に出たほうが安全かもしれないと思い、外に飛び出すのと同時に、自分の体が飛ばされるように地面に叩き出されました。家には主人、息子、母がいるはずだ。早く家に行こうと立ち上がろうとするのですが、横揺れがますます強くなり立ち上がることもできません。

 目の前で家がきしむように横揺れしています。横揺れがだんだん強くなり、これ以上揺れたら家が壊れる、早く止まってくれと願いながら見ていると、バキバキっと音がして、家がねじれるように前のほうにドッシーンと潰れました。

 揺れも収まり、家の中に3人とも居る、何とかしなければと思い、家のほうに走って息子のいる部屋の前に行くと、息子と母の声が聞こえてきました。ああー無事だったんだ。ヨカッタ。早く家から助け出さないとまた余震が来る。私しか居ないんだから何とかして出さないと、と思いサッシの外れているところから天井を持ち上げ、中を見ると二人して奥のほうにいました。

 余震が来るから早く出るよう、せかすように二人を家から出し、一安心していると今度は主人がいない事に気が付きました。2階に居たはずだ。よく見ると二階が一階になっていて、階段も壊れていました。大きな声で呼んでも返答がありません。必死で呼んでいると後ろの方から「オイッ」と声がしました。ああー主人も無事だったんだ。みんな怪我もなく無事で本当によかったと胸をなで下ろしました。

 後でどこに居たのか聞くと、主人は二階ではなくて一階の居間でテレビを見ていたそうです。ドシンと音がして、テレビ(結構重いテレビ)が飛んできたそうです。そして家の戸が全部外れたそうです。最初、何が起きたのか分からなかったのですが、横揺れが始まって地震だと分かったそうです。これは外に出ないといけないと思い、玄関までやっと出て戸を開けようとしたのですが今度はなかなか開かず、足で蹴ってやっとの思いで外に出て、後ろを振り返ったときに家が潰れたそうです。その話を聞き、もう少し出るのが遅かったら二階の下敷きになり死んでいただろうと考えると背筋が凍る思いでした。地震で家は潰れてしまったけれど、家族全員が無事だったのは不幸中の幸いだと思いました。

 今回の地震でありがたく思ったことは、地震が起きた翌日から、県内外からボランティアの方、行政の方、自衛隊の方々が門前に来てくれ、水の供給やゴミの搬出など、余震が続いているにもかかわらず、危険な中、一生懸命働いてくれたことです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 私もボランティアの方の励ましの言葉でたいへん力づけていただきました。25日の震災の日からずっと仕事が忙しく、壊れた家の後片付けや家族の世話もできず。また家が潰れてたいへんショックで泣きたい気持ちでいっぱいでしたが、主人も私以上にショックを受け落ち込んでいたので、主人の前では「何とかなる」「頑張ろう」と励まし、我慢をしてきたのですが、それも限界に達していました。

 そんな時、ボランティアの方に、「辛かったね」「大変だったね」「そんなに頑張らなくてもいいよ」と言われ、初めて声を上げて泣くことができました。
そして泣くことで気持ちが楽になることができ、次の日からまた仕事に頑張ることができました。

 今度、どこかで災害が起きたときは、私はボランティア活動ができるかどうか分かりませんが、今回の地震で皆さんから頂いた温かいご支援やご協力は一生忘れないようにしようと思っています。

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