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自分たちでできることを   橋爪 美智子
 3月25日朝、ゆきわり草祭りの準備の最中、ドスーンと下から突き上げられ大きく揺れました。あっ地震。一瞬、私の頭をよぎったのはもう終わり。慌ててガス台の下に潜りました。あたりは真っ白になって何も見えません。揺れが収まってから、外で大声で呼んでくれている人の声を頼りに、私を含む会員7名は無事外に脱出しました。私達のいた興禅寺はペタンと潰れて無残な姿になっていました。でも私のいた台所は形が残っていました。

 慌てて家に帰ったのですが途中、屋根から落ちた瓦が道路に散乱していたり、押し潰された家があったりと散々な光景でした。私の家も全壊していました。家の中にいる母を外に連れ出しました。とにかく食べる物をと、友人と二人で壊れた興禅寺の台所から炊飯器を引っぱり出して、ほんのさっきまで祭りの準備で作っていた混ぜ御飯をパックにつめて会員の方に少しずつ配りました。

 夜、避難所に行きましたがたくさんの人で眠ることはできませんでした。次の日、母を私の実家に頼み、壊れた家から少しずつ品物を運んでもらいました。一週間程して、ボランティアの方にもお願いして、家の中の家財道具や店の道具、商品を捨ててもらいました。私の頭の中は何もかも要らないといった心境でした。でも月日が経つにつれ、あれもこれも残しておけば良かったなあと後悔している毎日です。

 避難所で生活する人達は、食事の心配はないのですが、壊れた家を片付けながら自宅にいる人には食べ物もなかなか貰えません。水も出ないので炊事もできませんでした。市の係りの方に門前地区の食事を希望する人の名簿を提出して人数分の食事をお願いしました。また地区の3人の方も1日3回、避難所からもんぜん屋まで食事を運んでくれました。この時ほど地域の助け合いの大切さを強く感じたことはありません。私にとって一生忘れることはできません。どんな悲惨な環境におかれても、助け合えば乗り越えられる。私も頑張らなければ。

 一ヶ月ほどして仮設住宅に入りました。避難所で一緒に居た方たちばかりでした。でも年配の方が多いのでなかなか交流の場がありません。一週間に一回、禅宗のお坊さんによるお茶会が開かれ、私も各戸に声を掛けて出てくるようにお誘いしました。カレーをたくさん作った時は少しずつ分けてあげました。

 そのうち、カレーの日を設けたらという意見が出たので8のつく日をカレーの日にしました。野菜は有る人が出し、皆で手伝ってしようという事でしたが、今は2、3人でしています。でも8のつく日になると一家族200円なので、仮設に住む半数以上の家の人や仮設を出た人もカレーの日を待って取りに来てくれます。またそこでいろいろな話が出てお互いに交流が始まっているようです。

私は支援して下さった全国の方々やお世話になったボランティアの方々の足元にも及びませんが、身近なところで自分でできるボランティアをしていこうと思っています。本当に皆様ありがとうございました。



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